1988-03-22 第112回国会 衆議院 本会議 第9号
私の学びました中学校は、福岡県立修猷館という黒田藩につながる歴史と伝統を持った由緒ある学校でありましたが、皆さん方にとっても先輩議員であります、あの戦争中、東条軍閥に抗して自刃した中野正剛、「落日燃ゆ」の悲劇の宰相廣田弘毅、爛頭の急務と叫んで総理・総裁の座につく寸前に惜しくも倒れました当時の自由党副総裁緒方竹虎、日本社会党創設の重鎮三輪壽壯、これすべて我が修猷館の私の先輩であります。
私の学びました中学校は、福岡県立修猷館という黒田藩につながる歴史と伝統を持った由緒ある学校でありましたが、皆さん方にとっても先輩議員であります、あの戦争中、東条軍閥に抗して自刃した中野正剛、「落日燃ゆ」の悲劇の宰相廣田弘毅、爛頭の急務と叫んで総理・総裁の座につく寸前に惜しくも倒れました当時の自由党副総裁緒方竹虎、日本社会党創設の重鎮三輪壽壯、これすべて我が修猷館の私の先輩であります。
この選挙に非推薦で立候補された先生は、東条軍閥内閣の激しい弾圧にあいながらも奮戦されましたが、善戦むなしく小差をもって落選のうき目にあわれました。この試練は、草野先生をして政界への進出の決意をいよいよかたくせしめたのであります。戦後、草野先生は新たな世相の中でも初志を貫いてきたのであります。
ただ簡素化簡素化でいいならば、ムッソリーニのように、あるいは東条軍閥総理のように、佐藤総理が各省を全部兼任したほうが簡素化でありますけれども、これはおそらくいまの政治では許すべからざることであり、またやってはならぬことだと思います。その意味で、この法律と政令の関係。
さらに私は、こういうような国会の委員会での審議が十分にされずに、常に本会議でこれを取り上げて、中間報告をさせて一挙に解決しようというようなやり方は、かつてドイツにおける、ファッショ治下における、あのヒットラーのやり方、近くは東条軍閥のもとにおいて行われたあのファッショ的な政権下における国会の運営であろうと思う。戦後の日本の民主国会に、こういう不可解なことがあるとは私は予想をしていなかった。
ブラウン記者との対談の部分的な点については、あなたは否定をせられるのでありますが、少くとも共産主義に対する脅威のためにアジアにおける共産主義の防衛の役割を日本が背負って立つのだという点をあなたは明らかにされておるでありまして、その内容から考えまして、反共の名においてあなたがかっての東条軍閥内閣と同じような形で、軍国主義的な傾向を復活させようということは否定し得ないものがあるというふうに見受けるのであります
こういう問題について何も責任を感ぜずに、ただ東条軍閥内閣と一緒で、特攻に前へ進めと号令をかけるような、そういう何と申しますか、とにかく非人道的な非教育的なことをやってはだめじゃないか、もっとしっかりしてもらいたいと思う。これは要望です。 次に、私はお尋ねしたい点は、警察の問題なんですけれども、とにかく警官がこのごろ組合の争議を見るとよう出てくる。
あるいは社会党さんの言われるごとく、確かに東条軍閥内閣をめぐって紀元節を侵略主義に利用した節はわれわれは認めます。しかしながら現在お聞きしますれば、日本は日露戦争まではりっぱな近代国家であって、申し分なかったというお話である。この紀元節は日露戦争前の明治政府において確定しておるのでございます。(「悪用されたと言っておる」と呼ぶ者あり)悪用は将来されないように努力すればいいことであります。
昭和十八年秋、東条軍閥による東方会への大弾圧が行われた際、君は中野先生初め同志とともに検挙の厄にあい、半年の長きにわたり獄舎の辛苦をなめられたのであります。 君は、戦後、東久邇宮内閣の嘱託となり、当時、混乱期に際し、よく民意の反映に貢献するところがありました。
(拍手) 遠い昔のことはさておき、あなたは、あの大東亜戦争の宣戦布告をした東条軍閥内閣のもと、官僚統制の総元締めとして、国土をあげての総力戦に国民をかり立てざるを得なかったために、三百余万の同胞は傷つき、倒れ、全国主要都市はことごとく爆撃によって戦火に焼き払われ、一千万人に上る戦災者を出し、さらに、三百五十万の在外同胞は、飢えと寒さにふるえながら、着のみ着のままの姿で引き揚げざるを得なかったのであります
しかるに、今日のこの公認制度というものは、かの東条軍閥内閣時代の翼賛選挙以上に、政党の幹部の統制力を強化し、公認されざるものはほとんど当選できないというような、実におそるべき政党の公認制である、このように考えております。鳩山総理が真に民主政治家であり、二大政党を育成せんとするならば——このような公認制度を強化して、おそるべきところの立候補の自由制限という精神まで法案の中に織り込まれている。
(拍手) かつて、戦争中に、東条軍閥内閣が、戦争を遂行し、反対派の意見を屈服さして、自分の意思を遂行させるために翼賛政治会というものを作りました。推薦選挙を行なって、推薦をせざる者はどんな力のある人でも当選のできないような乱暴な選挙を行いました。そのとき、鳩山さん、あなたは敢然としてこれと戦ったじゃないですか。(拍手)その推薦選挙に反対されたじゃないですか。
それとも、東条軍閥によって仕組まれた反国民的な侵略戦争であったと考えておいでになられるのかどうか。この際あらためて事新しくお尋ねをいたしておきたいと思うのであります。国民にとってこのような設問はあまりにも明らかなる答えの出る質問であるのでありますが、————————————————。 終戦のとき、皆さん、阿南陸軍大臣の秘書官林三郎という人が、戦後の著書でこのようなことを発表いたしております。
それとも、東条軍閥によって仕組まれた反国民的な侵略戦争であったと考えておいでになられるのかどうか。この際あらためて事新しくお尋ねをいたしておきたいと思うのであります。国民にとって、このような設問はあまりにも明らかなる答えの出る質問であるのでありますが、 終戦のとき、皆さん、阿南陸軍大臣の秘書官林三郎という人が、戦後の著書で、このようなことを発表いたしております。
ところが今度は、事防衛隊なり軍関係のことであるから、委員会なり国会の本会議なりより重大だというようなおつもりで向うに出席をして、儀礼的なものに向うに出席をして、こちらをないがしろにされるという態度は、かって東条軍閥内閣時代に、主義が横行した時代のやり方と何ら変らない態度だと思う。
○佐多忠隆君 私たちはかって東条軍閥時代に、自分のそういう軍の態容その他について知らされることがなかったためにああいう失敗、国を滅ぼす結果にすら引きずられていった。今は同じようなことが現に行われつつあるように思う。ことに外国の軍隊が日本の中にいて、その態容がわからないで予算の審議をさせられる。これは東条時代以上の暗黒予算審議だと思う。
ないのみならず、東条軍閥時代においてさえもすでに逮捕せられておつた者であつても、国会開会の前日これを釈放するというのが、明治憲法以来の先例であります。中野正剛氏が警視庁から釈放されたのもその例に漏れないわけであります。にもかかわらず、なぜ新憲法において国会議員の職責が非常に高くなつたにもかかわらず、こういうふうに逮捕許諾せられることが多くなつたのであろうかという疑問が当然わいて来るわけであります。
この道というものは我々がいつか来た道でありまして、堕落をいたしました曾つての政党警察のサーベル時代から東条軍閥の憲兵、そして敗戦となつているのでありまして、ここにフアツシヨ的な方向に道を譲りまする大きな落し穴があるということを指摘しなければなりません。 次は地方分権の問題であります。
あなたは戦争中東条軍閥内閣の片棒をかついで、そうして一生懸命やつて戦犯に問われた。先般解除になつてほつとしたあげく参議院議員に当選して来て、またまたこういう悪法を提案している。今度はいよいよあなたは棺を負うべき年齢が来ている。しかるにこの悪法を行うことは、これは徳川幕府の封建時代以上だ。
この法律ができますと、結局狂人に刃物を持たせるような結果になりまして、言論の弾圧が盛んになりまして、東条軍閥時代のような時代が再現をするのではないかというような相愛を私は持つておりますが、そういう心配はないものでございますか、お伺いしたいと思います。
曾つての東条軍閥時代といえども、かかる悪法は作られなかつたのである。諸君はかかる悪法を作ることによつて教育を自分達の思うままに歪め、そうして日本の青少年を軍国主義と戦争に駆り立てようとしているが、この企らみは成功するものであろうか。これは成功しない。必ずや平和を愛する日本国民の反撃によつて潰され去らざるを得ないのである。